a small,good thing
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新年、明けたけど「おめでとう」という気持ちにはなれない、というのが本音だ。2012年になったからといって、何かが変わるわけじゃない。失われたものは戻ってこない。祖母から届いた年賀状には「新春詠」として、3つの川柳が書いてあった。そして、「今年はおめでとうとは申しにくいので、新春詠でお礼のご挨拶と致しました。」とあった。元旦、その川柳を心に刻んだ。
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福島へ帰ると必ず立ち寄る場所があった。6号線を左折して、坂を少し上ったところにある町営アパートだ。物心ついた時、私はここにいた。小学2年生になって引っ越しするまでの間、ここで暮らした。逆上がりの練習をした小さな公園、よくベストやセーターを編んでくれたおばちゃん、いとこや幼なじみの友だち、母親が小さな結婚パーティをした公民館。6畳二間に家族4人、超貧乏生活だった。母親はいつも子供たちを置いて、働きに出てしまう。その後ろ姿を追って全力で走った。私がどんなに泣いても、転んでも、叫んでも、母親は毎日休みなく仕事に出かけた。今でも母親を追いかけて全力で走る夢を見る。
あの日のことなんて忘れてしまえばいいのに忘れてはいけない気がして、何度もこのアパートを訪れた。認めたくないけど、多分ここが私の原点なのだと思う。放射能に汚染されて訪れることもなくなって、記憶も薄れていくのだろう。忘れたくない思いと忘れてしまいたい思いを、自分の中でどうしていいのかわからなくて、あれからずっと混乱している。

福島のことを考え続ける日々に疲れてしまった。それでも一生福島のことは思い続けるのだろう。避難生活の末、新しい町で生活を始めた母親が福島にいる。仮設住宅には祖母がいる。計画避難区域が解除になったとはいえ、線量の高い地域に親戚が残っている。原発問題が「解決」することは将来的にあり得るのだろうか。廃炉になるまで数十年、私は生きているのだろうか。考えすぎなのか、考えが足りないのか。日本は大丈夫か。世界は続くのか。政治に怒りを覚える。マスコミが報じるニュースに苛立つ。自分自身にも腹が立つ。なぜ泣いているのかわからない。そんな2011年が終わる。苦しかった。
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お目当てのたま駅長はというと、確かに終点貴志駅にいたのだが、ガラスの向こう側で勤務中であった。つまり、ひたすら寝ていた!ガラスを叩いて駅長を無理に起こしてはいけない。たま駅長の背中の三毛柄を見ておしまい。残念すぎた。会津の駅長猫ばすは、待合室の座席で寝ていたけれども、たま駅長には触れることもできなかった。 そこへ観光バスがやってきて、たくさんの中国人がやってきた。みんなガラス越しにたま駅長の背中を激写している。ふと、動物園のパンダを思った。
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いちご電車で終点の貴志駅で下車し、たま駅長にごあいさつした帰りは、「たま電」に乗って帰ってきた。車内には猫本ばかり集めた「たま文庫」があった。木製のやさしい吊革。たまの小さな足跡。美しい曲線を描く座席は優雅なソファのようで、足下を見れば猫足だった。座面のファブリックは三毛猫カラーで統一されている。迷ってしまうほど様々なデザインの座席。あっちに座り、次の停車駅でこっちに座り、はしゃいでいたらすぐに和歌山駅に到着してしまった。
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12月某日、和歌山電鉄「いちご電車」に乗った。和歌山駅から終点の貴志駅まで約30分間の小さな旅。工業デザイナーであり、世界的鉄道デザイナーの水戸岡鋭治さんデザインの電車は随分前から憧れだった。こんなにワクワクする電車は初めてだった。何往復もしたかった!運転席をのぞくと、カバンの中に小さなクマがいた。
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人生初のサッカー観戦。 天皇杯準決勝、横浜F・マリノス vs 京都サンガF.C.を見た。都会の真ん中にこんなきれいな緑があったとは。次第に日が暮れて、気温も下がり、空が黒に変わっていくのもきれいだった。帰宅してから録画していた試合を見て復習。初心者には解説付きは非常にありがたい。とはいえ、サッカーの試合を会場で見ることの楽しさを知ってしまった日だった。
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サッカーの話。

正直、まるで興味がなかった。私にとってのサッカーは、祖母が暮らす町にあった「Jヴィレッジ」というサッカー練習場だけ。この施設は、今年の福島第一原発の事故以降、すっかり有名になってしまった。原発作業員の拠点となり、テレビやネットで見る限り私が知っているJヴィレッジの面影はすべて消えた。そこには放射能で汚染された大量の防護服が山となり、戦車があった。もう、Jヴィレッジでサッカーをすることなんて二度とないのだろうし、私も祖母もきっと二度と訪れることはないだろう。Jヴィレッジは第一原発からギリギリ20km圏内なのだ。祖母は「古里の サッカー場は 夢の跡」という川柳を読んだ。緑の芝生を見ると、懐かしい古里を思い出してしまうという。

86になる祖母もまた、サッカーのことはよくわからなかったけれど、Jヴィレッジに訪れたトルシエ監督のことと、2002年のFIFAワールドカップの際にアルゼンチンチームのキャンプ地になったことで、よく「トルシエ監督」「アルゼンチンのサッカーチーム」という言葉を口にしていた。

以前ここにも書いたが、田舎に帰ると必ずJヴィレッジで祖母と食事をした。なにもない海辺の田舎町にJヴィレッジができたのは1997年のことで、震災後に初めて東電が作った施設だと知った。第一原発に原子炉6つ、第二原発に原子炉2つ、さらにそのお隣りにもまだ原発を作る計画があった(今年3月末、東電はその計画を推し進めると発表して強い反発があった。当たり前だ)。危険な原発をたくさん作った代わりに、なにか地元の人が喜びそうな施設を作ろうということだったのか。

Jヴィレッジ内のレストランで料理長を務めていた西芳照さんは、本当に祖母によくしてくれた。いつだったか、私が突然電話で「祖母の誕生日を祝いたいので、バースデーケーキを作っていただけないでしょうか」と無茶なお願いをしたときも「コウさんのためなら喜んで!」と、金粉で彩られたケーキを作ってくださった。後から知ったことだが、西さんのご実家は祖母の妹宅とお隣りさんで、「お隣りに男の子が生まれた!」と西さん誕生の時から知っていたのだとか。そのこともあって、祖母は西さんを「よしてるちゃん」と呼んでいて、夏に私の家に滞在したときも、まず最初に西さんに電話をかけていた。西さんが祖母を心配してくださったように、祖母もまた西さんのことが心配でならなかったのだ。

今年5月に西さんの著書「サムライブルーの料理人」が発売され、さっそく読み終えた祖母は出版社に宛てて感想を投書した。そのハガキは、編集部から西さんご本人の元に届き、ある晩突然、祖母が避難していた東京郊外のマンションを訪ねてくださったという。「コウさん、ご無事でしたか」と、お米を5kg抱えて。

西さんは一時は東京に避難していたようだったが、現在はJヴィレッジに戻ったと聞いた。「Jヴィレッジに戻って料理を作っている」と聞いたときは、一瞬信じられない気持ちだったが、冷静に考えると原発作業員の方々のために食事を作れる人は西さんしかいないのかもしれない、とも思う。なにせ、ニュースで知る原発作業員の労働環境の悪さは極めて酷かった。特に食事。20km圏内で食料を調達することはほぼ不可能、食べるところもない。なにせ「死の町」なのだ(「死の町」ということばをあえて使いたい。実際その通りなのだから)。その町へ戻って料理することを決意した西さんの著書を、私も祖母に習って読むことにした。

その本は、サッカー日本代表チームの帯同シェフとして活躍する様子が丁寧に書かれていた。西さんの地元で作ったお米はつまり、私がいつも食べていたお米だ。そのお米を、日本代表選手も食べていたと知って、サッカーというものにほんの少し興味を持ち始めた。そして、読めば読むほど、西さんのご活躍を同郷としてとても誇らしく思った。


ちょうどその頃、横浜F・マリノスで仕事をする機会があった。マリノスのホームスタジアム内の施設で新聞バッグ親子教室が開催され、私もインストラクターとして参加したのだ。そのときに、サプライズとしてやってきたのが、中村俊輔選手だった。いくらサッカーのことを知らない私でも、中村選手だけは知っていた。なにせ、ちびにそっくりなのだ。実際、そっくりではあったけれど、大きな筋肉質の体は圧倒的な迫力があって、とても格好良かった。歩くのも辛そうなほど片方の足を引きずっているのに、練習に来たのだという。プロのサッカー選手のすごさを目の当たりにした瞬間だった。浮かれてサインをいただいたときに、Jヴィレッジのレストランに飾ってあった中村選手の写真が頭を過ぎったけれど、ことばが出てこなかった。

サッカーの試合も見たことがない私が、急にプロのサッカー選手という職業に興味を持ちだし、今までは絶対に手にとることのなかったスポーツ選手の本を買った。それが今年ミリオンセラーとして大きな話題になった長谷部誠選手の「心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣」だった。中村俊輔選手の試合を見たいという思いに加え、長谷部選手の試合もいつか見たいと思うようになった。我ながら単純だ。


先日、茨城県結城市にスピッツのライブを見に行ったときのこと。誘ってくれた友人に、なんとなく「最近ちょっとサッカーに興味が」という話をした。彼女に会うのはいつもスピッツのライブで、この時は約3年ぶりの再会だったと思う。ライブ帰りに食事するときだって、いつも当然スピッツの話が中心だった。ところが、先日は違った。彼女は鹿島アントラーズの熱烈サポーターでファンクラブにも入っていたのだ。私の幼稚な疑問にも、すべて完璧に答えを返してくれた。サッカーの話で盛り上がったのは、人生でこの時が最初だった。

良くも悪くも興味を持つととことんハマってしまう。長谷部選手の試合を見るにはどうしたらいいか、所属するヴォルフスブルクの試合を見るにはドイツに行かないといけないのか──。ヴォルフスブルクという町を調べたら、ベルリンから電車で1時間。行ってみようかなと思った。試合のチケットは日本から買えるのか──。オンラインで買って、メールで送付されるPDFファイルをプリントすればいいらしい。そもそも20:30開始の試合だと、終電に間に合うのか、氷点下の寒さに耐えながら応援できるものなのか、ユニフォームも着るつもりはないし、地元の熱烈サポーターがコワイ‥‥。いや、ドイツ以前に、まずは日本で試合を見て予習しておくべきだろう。ふりだしに戻ってしまえば、私はドイツでサッカーを見るレベルではまったくないのだ。ドイツ語のサイトを翻訳しながら読みふけって朝になる。私はどこか遠くに行きたいだけなのかもしれない。


本当に私はサッカーを見たことがないのか、改めて思い返してみた。2002年に日本でワールドカップが開催されたときは、周囲が夢中でテレビを見ている間、猛烈に仕事をしていた。とにかく仕事して仕事して仕事して、最後には壊れてしまった頃だ。去年の南アフリカ大会は、テレビからブブゼラの音が聞こえた瞬間、チャンネルを変えていたので1試合どころか合計して10分も見なかった。そういえば、以前ロンドンを訪れたときにイギリス対フランスの試合を近くのパブで見た記憶がある。ギリギリのところでフランスが逆転勝利して、パブにいた人たちの意気消沈の空気を肌で感じた。それは試合を見たというより、パブの空気を楽しんだという感じだった。ロンドンからアムステルダムに戻るとちょうど夕暮れ時で、テレビでオランダ戦が放送されていたこともあって、窓という窓から悲鳴に似た声援が聞こえていた。町中がオランダのチームカラー、オレンジ色で染まっていた。

町の中央にあるダム広場に出かけたら、アヤックスという地元チームの優勝イベントに遭遇したこともあった。サッカー好きの友人がアムステルダムに遊びにきてくれたとき、アヤックスのホームスタジアムに行ったこともあったけれど、その頃はサッカーというものが11対11で戦うスポーツだということすら分かっていなかった。考えてみれば、サッカーは結構身近にたくさんあったのだ。何人かの友人から早速「やっとわかってくれたか!」「興味を持ってもらえてうれしい!」と言われた。ようやく私の中で、サッカーのアンテナが立ったらしい。2011年は私のサッカー元年になった。

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消しゴムはんこ作家とみこはんの個展、11/1から渋谷西武で開催。
DMのデザインをさせていただきました。
「すみません、奇跡的にすずきさんに似てしまいました」というので、どんなはんこ画像が送られてくるかと思ったら、イモを持った座敷童みたいなのだった。確かに似ていないでもないが。

会場で販売予定の2012年カレンダーもわたくし一肌脱ぎました。お昼頃から深夜3時まで、ひたすらカレンダーの印刷データ作り。アナログ専門のとみこはんはその傍らで「すずきさん、何か手伝うことはありますか!踊りましょうか!」と、すさまじいステップでカズダンスを踊りだしたりして無性に腹がたったりもしたけれど、昨日届いたばかりのカレンダーは素晴らしい出来映えらしい。おいしいもの満載のとみこはんカレンダー、ぜひ会場で。

とみこはんの個展

とみこはんの消しゴムはんこ展「よりみち」
2011/11/1(火)〜14(月) ※最終日は18:00まで
西武渋谷店 A館7F サンイデー渋谷内
月〜土 10:00〜21:00 / 日・祝  10:00〜20:00
http://www.tomikohan.com/
とみこはんtwitter
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ぐだぐだと恋の相談をする度に「すずきさん!もういい加減に付き合うか忘れるか、どっちかにしてください!」と言われ続けている。どっちか選べるならそうしてるわい!というわけで、いつもお世話になっているとみこはんの個展のおしらせです。

とみこはんの消しゴムはんこ展「よりみち」
2011/11/1(火)〜14(月) ※最終日は18:00まで
西武渋谷店 A館7F サンイデー渋谷内
月〜土 10:00〜21:00 / 日・祝  10:00〜20:00
http://www.tomikohan.com/
とみこはんtwitter


夏のある日、わが家にやってきたとみこはん。おもむろに消しゴムはんこを彫る様子。かまぼこみたいな消しゴムからレディガガが生まれた。その間、なんと20分程度!その職人技につい見とれてしまった。

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韓国に新聞バッグを持っていこうと思ったときに、やはりこの新聞広告で作らねばと思った。今をときめくチャン・グンソク。以前、福島のいとこが「ぜひ新聞バッグ用に」と選りすぐりの新聞紙を送ってくれた中に、この韓国コスメ「NATURE REPUBLIC」の新聞広告も入っていたのだ。出発前日にチャン・グンソク新聞バッグを作ってはみたけれど、正直言うとチャン・グンソクという人のことはまったく知らなかった。

新聞バッグ片手にソウルの町に出ると、明洞駅前のビルに巨大なチャン・グンソク!想像以上に人気の俳優さんだと知る。友人となんとなく入った韓国コスメの店内もまたチャン・グンソクだらけであった。商品のパッケージからノベルティ、紙袋、等身大パネルまでありとあらゆるものがグンソクで、なんだか妙におもしろくなってしまい、勢いに任せて店員さんに「グンソクと写真を撮ってもいいですか?」と聞いてみた。そのテンションの高さに、完全に熱烈なグンソクファンだと思われてしまったようで、親切に「2階だとゆっくり写真が撮れます」と案内してもらって、思う存分激写した。



写真だけ撮って帰るのも気が引けるので、おすすめのコスメをいくつか購入。レジでお会計をしていると、スーツの男性がグンソク新聞バッグに釘付けになっている。「それは一体なんだ?」ということで、つたない言葉をかき集めて「新聞で作ったバッグです」「私が作りました」「私たちは新聞バッグの先生です」と、同じく新聞バッグインストラクターの友人とジェスチャーを交えつつ説明した。手に取って、ひっくり返したり、とても感心している模様。

「このバッグ、写真を撮ってもいいか」というので、レジで撮影会が始まった。そこへ日本人スタッフの方が足早にやってきて、「こちらはうちの社長です!」と紹介してくださった。まさかの社長! 日本語の新聞広告がこんなふうに使われるとは思いもしなかったのだろう。プレゼントしたら、とても喜んでくださった。



そんなこんなで、韓国コスメ「NATURE REPUBLIC」のチャン・グンソク新聞バッグは、思いがけず「NATURE REPUBLIC」社長の手に渡った。

この旅のミラクルがきっかけで、すっかりチャン・グンソクが気になりだしたのだった。とりあえず帰国してから、グンソクがCM出演している「ソウル・マッコリ」など飲みつつ、グンソク主演ドラマ「メリは外泊中」と「美男ですね」を一気に見た。
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